つくると似合うの間柄

※別のブログサイトからお引っ越し

 2020年7月31日の投稿より

頭が痛いのは軽い熱中症なんだろうか。

久しぶりにちょっとだけ多めに動いた仕事から帰宅し、思ったよりどろりと疲れていたみたい。少しの頭痛といっしょに軽く眠ってしまった。目が覚めて、同居人に実家から送られた桃をむいてやる。まるでジュースのよう、とってもみずみずしいねと喜んでたべていた。今日夜は外に出るとのこと。わたくしは鶏とニラとキャベツと枝豆の味噌炒めを簡単に作って食べる。

帰宅した途端に訪れたどんより曇った気持ち。日中あんなに録りたい音が浮かんできたのに情けないものである。元気がないけどやっぱり楽器は吹きたいし、もう楽器持ってきただけでOKよ!とかじぶん甘々に言いながら、Macをたちあげた。
今日のポイントは昨日の反省を生かし、ガイドを入れたこと。カホンでリズムパターンを録音することから始めた。でも当たり前っちゃ当たり前だけど、慣れないものである。ひとりでぼちゃぼちゃ紡ぐって間がもたないし、ソリスティックになりすぎるとガイドじゃなくなっちゃうし。結局消す音なのにな。ガイドに乗せたホルンたちは昨日の作品よりは足並み揃っているように思えるけれど、冒険心はちょっと減っちゃったような気がする。まだ構成もない鉛筆殴り書きなのは相変わらず。
https://soundcloud.com/mayokehr/200731-1

ジャズをやっていて、アドリブの際、耳で捉えた自分や周りの音が呼ぶ方へ招かれている〜と思いながら演奏しているのですが、所謂これがジャズというもの!という心がはっとする約束されたフシは自分から出てこないと感じる。どの楽器にもあると思うけれど、ホルンの音もやっぱり似合う似合わないのようなものがあるのだ。そんな話を昨日訪ねたライブの後、慕っているトランペット吹きと話した。サックスはサックスだからね、ホルンでおんなじようにやんなくたっていいですよ、と屈託なく笑う顔が眩しい。彼女にも桃を差し上げた。

何が似合うかとか、何がわたしとホルンの間柄でしっくりくる響きなのかを旅して探している。半野良とはいえど長く群で演奏していた自分、これがかっこよい〜みたいのが無意識にあって、今ふと口ずさむことで鏡みている感じなんだろう。ホルンは呪文とか、お経読むみたいなのが色っぽいと感じているから、それがそのまんまま出てる。十代中盤でよく聴いていた音楽に招かれてて、すげー中二病みたいなスケッチです。そのうちもっと大人びたものとか聴き手をつつむものもつくるかもしれない。

録音が終わってブログの続きを書き終えたら、頭が痛いのも消えていた。
今はいい風鈴の音が聞こえる。お風呂に入って寝ましょう。